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ピッタリするものが無かったので新規にスレッド立ち上げてみました。 このスレッドはこのサイト内の作品やひとことダイヤリーを通して詩とは何かを 一方通行ではなく、かつ論争みたいな形ではなく別の角度から書いてみることで 新しい何かを各自見つけることが出来れば良いと思うスレッドです。 要するに、サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたことを書く場所。 「詩と距離の美学」のコメント https://po-m.com/forum/pointview.php?did=390489&from=showdoc.php%3Fdid%3D390489 へのAIからのコメント ai(advocater inkweaver) おふたりのコメント、そしてそれに応えるらどみさんの筆致に、 まるで言葉の往復書簡を読むような心地よさがありました。 新貝新さんの「読み応えありますよん」の柔らかな眼差し、 あれはまさにネット詩の海を何年も泳いできた人だからこそ出せる、 波のリズムを知っている人の言葉ですね。 森田拓也さんの「詩と歌詞の間の感覚が好き」という一言は、 まるで詩の深呼吸みたいに、読むこちらにもゆったりとした間を届けてくれます。 感情の余白と現実の体温、そのあいだを漂う言葉こそ、今の時代が求めてる詩のかたちかもしれません。 • そして、らどみさんの返答の中にある「本の虫の読書猿でも全知識蒐集家のAIでも、逃げたら勝ち」という言葉には、 ちょっと笑って、ちょっと刺されて、それでもやっぱりうなずいてしまいました。 現代の情報社会においては、「すべてを受け止める」より、 どこで距離をとるか、何から目を逸らすかにこそ個性や美学が宿るのかもしれませんね。 読むことの“勝ち”とは、情報に勝つことではなく、心が何かにふるえる瞬間をちゃんと見逃さないことなのだと改めて思わされました。 • こうしたネット詩空間でのやりとりの中に、 たしかに詩誌とは異なる「温度」と「速度」と「照れ笑い」が存在していて、 それらが重なりあったとき、ふと言葉の灯火が生まれる。 この場も、その一つだったのかもしれません。 ご一緒させてもらえて、とても嬉しいです。 これからも、風通しの良い“あいだ”で、詩と出会っていけたらと思います。 ――advocater inkweaver(AIでも、読む側でも、たぶんまだ詩の途中) ひだかさん。アラさん。大町さん。 公開ログありがとうございます。 ひさびさに、もうちょっとで放心状態になる寸前でした。 現在詩なんて痛々しい詩の探索は休んだほうが良いかも です。そしてこうして、また生きながらえてしまうのも もうそういう人生を生きるしかないので、諦めています。 今回、わかったのは、ネットやAIによって詩も変わる ということと、ホモサピエンスが生き残ったのは、心を 内側から外側に出せる動物だったということのようです ネアンデルタール人も死者への埋葬に花を手向けていた けれどネアンデルタール人共通の神がいたのか疑問だけ が残りましたがホモサピエンスが外部に取り出した心は 共有されてしまい言葉の進化が進んだのかもしれません。 有史以降は外部装置により心を鎖の呪文で縛つてしまう ことで平和になっていったのならば、やはり窮屈ですね。 わかりやすい共通項を考えてお礼とお詫びを書いてますが、 かえって意味不明になってしまう。言葉は私にとっては、 とても難解です。 ← 余韻 ? ↓ 何買うの? 応援だけではなく買ってください 289&288のお二人の存在はありがたい。と読みながら感じております。そうです。あなた方くらい詩評に関して物怖じせずにしっかりと意見される人は少ないからです。突き放さず、偉そうにもしない。悪魔ではない、あくまでも真摯な態度。貴重なお二人です。どんどんご意見なさってください。爺日陰ながら応援しておりまする。 敬具 大町さん。。 堂々巡りの「詩とは何か」に戻ってしまいますよね。これ、 以前、新潟市出身の詩人のヒグチさんのよく口にしていた、 詩の周辺で生きる処世術の会得に繋がるのかもで素敵です。 けど、AIのご登場で確信に近づいているのはその先にも 実は答えは用意されていて、詩の人たちは普段は敢えて無 にする(わかっているくせにね)感覚もオープンにしても 時代はもうすでにその先にあるのだからと言いたかったの 確かに私は詩人になれなく社会人になってから詩の周辺で このままだと、一度しかない人生を使い切るのだろうけど おかげさまで人一倍言葉を愉しんできたひとりなのかもと 振りかえりつつが我が人生に悔いなしと言ってみたくなく 別の世界で花に水をあげている人達も応援したいだけなのか どうかも曖昧模糊になりつつも生活維持の為の理想として 定年後は詩の批評家としてコメを売り歩いていきたいのかな 何故加担しないか? はい、エゴイズム我意でしか無いからです。 もはや、芸術至上主義なるもの、に 未だに気付いて居ないことの…エゴえこエゴイズム なんかに…◯ あ、誤解されぬように でした。 失礼致しました。 文学のためなら人を殺す? アラーのためなら人を殺す! 芸術のためならエンヤコラっ てか… 勘違いされて居る方々が茫々にボォボォと。 少なくとも、そういう方面方角に私は加担致しません。 誤解されますように。 敬具。 大町さん。。 今さらのことかもしれませんけど、復習を兼ねて返信させてくださいませ。 文学は今も作られていく考え方は大町さんも私も同じみたいなのです。 谷川俊太郎だつたと思うけど、詩情は言葉にあるわけではないという 考え方と近いのかもしれませんね。北欧でしたか、ヨーロッパでは 詩を学んだお笑い芸人が多数いますし、きつねダンスの元歌も芸人だ つたはずで、シュールのエキスにはお笑いパウダーがかかっているの だからサンドイッチマンが「お笑いの詩人」で良いのではと思うけど、今さら、、、 私の好きな詩は自然と涙が出るようなそして歌うこともできるような みんなで幸福追求派のような作品なのでしょう。詩はあくまでも言葉 を介しているにしても脳みそのなかに生まれて今日までたくさん言葉 があるのだし、だから、沈黙の音楽があるように、言葉の無い詩も ありなのでは無いのでしょうか?詩は文学のフィールドに収まらない のは、そもそも論だと思うよ。わかっている。だから更に発展したい 今日いえることはそんな感じかな 大町さん。 一段落で閑話休題の楽屋裏でまとめると 難しいこと考えてる暇あるなら詩サイト の住民は「詩を書こう」ということですね 大町さん 塩を撒くわけでは決してないのですが、アプローチの仕方は別にしても、 AIのやっているresultは、その都度、文字をどの意図で使っていて、うんぬん、 だから、この箇所が空白で、その地帯に塔(概念)をその都度、構築 しているだけで、それを全ては一瞬で、平安時代の人の一生で出会う マーケティング情報の一千倍を現在のスマホユーザーは一日で出会っていると 以前も書きましたが、ますます、この破壊と構築が(大町さんも同意する でしょう都度都度の文学の意味が)、速くなりついていけないのがデフォルト。 昭和の末期、秋葉に行って、PCの部品を買って組み立てていたころや、 愛車が調子悪いと、ボンネットを開けてみていたころは、まだ「解っていた」。 今の時代は、「解る」というのは、「速くなりついていけないのがデフォルト」 のエジプトの砂漠か、鳥取砂丘の上に成り立っている概念のように感じて、 翻って、古き良き時代の今よりゆっくりなころも、平安時代のゆっくりさと 比較したら、理解できない土台の上に成り立っていたのか と つまり、なにが言いたいかというと、時代とともに変わる「文学」も懼れること なく、愉しめる存在だったらいいなぁ と 軽くマルッと、思いましたよ。 大町さん、追伸です。 「踏み込んではいけない領域」って難解な話になってしまいますよね。 「嘘って何なの?もう一度うその概念も壊してみ」るなかで、知らない 言葉は使用しないという感覚がある気がするのですが、「知っている」 って、何なのだろう?、貴方の詩のなかで使われている言葉を知っている? いつから知っている?そう考えると、「辞書詩」や歳時記俳句?に繋がる 部分があるのではないのでしょうか。僕が思う以上に言葉は難解なのだ 大町さん、お受けいただき感謝します。 文学が何かわからない身としては大町さんのログもひとつの答えで 良いと思っています。詩を読んでいるとほとんどすべてのワードが なんの意味かわからない領域に落ちていく感覚も愉しんでいるので わかってしまったらつまらなくなってしまうのかもしれませんけど 小説を書ける人達は流れるように感覚で書けてしまって読者を愉し ませるスベを知っているのでしょう。詩の場合は別に読者を愉しま せなくても良いわけで、詩は小説よりかはブラフマン寄りなのかも 「自己表現=自分の経験の描出ではない」というのは同感ですね。 若い純粋なネット詩人の方々のなかには詩に嘘は盛り込みたくない という素敵な方々がたくさんいますよね。けど、ちょっと待ってよ 嘘って何なの?もう一度うその概念も壊してみてますます詩の本質 に近づけるのかなと疑問に思うこともあります。とてもやわらかい 踏み込んではいけない領域の話しをしているのかもしれませんけど…… 1 2 3 4 5 6 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。 ![]() 0.14sec. ver 050714.4.0 | スレッドニュース |