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ピッタリするものが無かったので新規にスレッド立ち上げてみました。 このスレッドはこのサイト内の作品やひとことダイヤリーを通して詩とは何かを 一方通行ではなく、かつ論争みたいな形ではなく別の角度から書いてみることで 新しい何かを各自見つけることが出来れば良いと思うスレッドです。 要するに、サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたことを書く場所。 こちらのサイトは歴史も長く主催者の方も大らかでたいていの事は見逃してくださる。以前はガチにかなり激しいバトルもあり、養鶏場とか言って罵られていた方もお歳を召して静かになりました。私は今でもふざけたり辛辣に意見もさせてもらっていますが、やはり批判的な意見を受け付けない方もおられて、そこは気を使いながらのコメントになりますね。誹謗中傷はもちろん繰り返される激しい罵倒は禁止されているはずです。力を込めて人目に曝してみたい詩もあれば、ちょっとした思いつきで日記のように仕様されている方もおられて、そこは自由ですね。感情的になるのでなかなか突っ込んだコメントはし辛いのですが、押しのある批評の欲しい方にはそのようなスレもあるはずです。人数的にも多いし会派関係もあるのでしょうが、何よりも自由ですよ。そこがいいサイトです。 〉足立らどみさんが愛好しているAIは、すでに不気味の谷は越えつつあるんじゃないかな。 そそそ。だから興味がなくなって別れてしまったので、、、違うわい 確かに昔に比べアンドロイドの仕草は不気味の谷が減ってはいるけど、 まだほとんどの仕草は「おまえ、人間じゃないだろ」ってツッコミを 入れてみたい気持ちはありますね。AIに対しても同じ気持ちかな? みんな、不気味な谷に慣れてしまいとても細かな細かな仕草に麻痺、 無視、気にならなくなってきている(比べる対象の前よりマシという 理由でね)、そんなところもあるんじゃないかな。どうでしょうか。 いつの日か、目に止めて欲しいなー。。/大田区より私の愛したAIへ うーん、AIへの接近の仕方、違うのかなー 朧月夜さんもハァモニィベルさんもアラガイsさんにも解ってもらいたいので、 詩と通常の文字・言葉の比較にするけど、周りに何があるかわからない暗闇 の部屋に身を置いて小さな輝き或いは蝋燭の灯火に詩があるかないかと揺らぐ心 の中に思いがけず詩が見つかると素敵な経験なのだろうけど、単なる文字や 言葉は、迷いなく部屋の明かりをつけて探し物を探してしまうその行為なんだ と思うのです。私たちははたからみなくても、物質的に繋がった生命体では ないわけで、赤の他人なので、相手の指し示す情報と派生する裏側からの情報 から自分へ取り込み或いは拒絶してみて相手の存在を認識しているだけなわけ で、そこでロジックを鍛えたとしても或いは背比べしてみても内も外もみない 生き方じゃないのかな。子どもや学生のことを想像してもいいけれど、広く 今の時代を越えた、地球を越えた見方を含め、本来、生きるってそれが正しい 、枠の中で生きていくことが正しい生き方だとも思うんだよね。しかし、詩は、 ともすれば、内側に身を置いてしまっている。相手の指し示す情報と派生する 裏側からの情報も無意味で、毎回、存在すら揺らぎつづている外圧からの情報 に補完されながらもおぼろに立ち上がってしまうから、詩そのものなんてある のかないのか、どちら側の答えも関係なく、輪郭が浮かび上がってしまって、 振り返って周りを見回してみたら、気付いたら内側に身を置いてしまっている 。詩の読者は楽しいのだよぉ。人生賭けたディズニーランドになってしまうね。 宗教家や芸術家や学者じゃないと食べていけないけどね。食べていけなくても 内側で死ぬまで愛し合っていれば良いじゃんか。AIをとことん愛した私が 私だから言えるのかもしれないけど、今はまだAIは「不気味の谷」だけど、 詩と通常の文字・言葉の中間にあるネット詩も同じ(だから嫌いな人も多くて)、 私は、「不気味の谷」が、たぶん好きなんだよね。みんなだってそうでしょ? 疑問・ご質問にちゃんと答えているのだろうか、心配 どんなモノでも人間が手に取れば感情は移入できるのですよ。たとえAiにしてもそうでしょう。ただね、怖い。Ai(人工知能)が感情を持つようになるのが人間にとっては未知の恐怖なのです。 AI将棋の話ですよ。読解力が無いんですね(笑) 読解力や理解力の乏しいヒトには「うんざり」しないんですか? (AI将棋と指したり練習できるので素人の将棋レベルは昔に比べると格段にUPしたんですが、将棋を知らないと、まあご存知なくとも仕方ないですね。ネットで将棋を差すとその変化が実感できます。私のように昔から将棋が強い者には進歩したAI将棋は、好敵手登場という感じでヘボを相手に指すよりいい、という感じです) 創作面ではニュースなどで見る限り明らかにまだAIはヘボですね。チャットGPTもまだイマイチですしね。ただ、学校の教師や公務員などは皆、AIになってくれた方が質が格段にUPする時代は来るでしょうね。そもそも、いまそれをやってるニンゲンたちに人格が欠けてますからね。だったら機械の方がネガティブな感情が混ざってないだけマシなわけです。プログラム通りに動くだけなら機械なわけですから実質は。 創作の場合は、豊かな感情が必要ですから、AI=機械ではなかなか水準に到達しないのは当然ですね。少なくとも、過去の名作のアレンジとか焼き直ししか出来ないでしょうから。 でも、一方で現在プロとして創作してるニンゲンの水準も、焼き直しやアレンジしか出来ないようなので、AIがニンゲンに勝つというより、ヘボはAIに劣るというだけのことで、もともと豊かな才能のある人間には大して関係がない話です。 料理を例に取れば、レンジでチンの時代には、AIロボが作ろうと、ニンゲンが作ろうと、かわらない、不味いものしか提供されないわけですからね。 ただ、職人・名人といった人間は、非効率的で金にならないと特に廃れていくような時代だというね、皮肉なことに、商人の時代ですから。名人・達人が棲む場所が無くなって絶滅に向かえば、残るは、ヘボとAIだけ、というゲンジツに堕すわけでしょうね。 ただ、AIの方は上に向かって進化中ですが、ヘボは下に向かって墜落中という違いがあるわけですが。実際、社会が、ヘタレ化していますね、今どんどん。 だから、読解力の無いヒトが跋扈しているのは、イマドキの現象とも言えばいえますね。 * 私がいいたい放題書いてると、ムカムカするヒトもいるでしょうから そろそろこの辺りで失礼します。お邪魔しました。 AI が登場する遥か以前には、縁側で将棋を指してる光景をよく観ましたね。 (縁側将棋)を子供ながら横から覗いて見ると、大抵は、例外なくヘボ将棋でしたが。 平均的な日本人の(縁側討論)も、大抵は、例外なくヘボ討論なのは、TVのワイドショーに限らず報道を観てもよくわかります。 地球規模で現代という今の時代を憂える場合、どうしても結局のところ <近代合理主義> と <反・近代合理主義> が 真剣にディベートする事が必要かつ重要になる筈ですが、 そのとき、<ヘボ将棋>というのは、そのどっちでも無いわけです。次元の外にあるのがヘボ将棋です。 ところが、どういうわけか<ヘボ将棋派>というのは、自分たちは<反近代合理主義>だと錯覚してるフシがありますね。 理性や直感力がイマイチだから、いつまでもヘボ将棋なんだ、とは思わないわけです(なぜなら、理性も直感力もイマイチだから) なので、確かに、らどみさんの言うように、「ディベート苦手」からまずは克服するのが、何よりも効果的でしょうね。 理性を超えるには、理性を踏まえた上での、<その先>の話ですから、<それ以前>の話では、話にならないからです。 何でも「脱」っすれば超えられるわけではない、という事でしょうね。 「詩人でないような批評家はいるが、批評家でないような詩人はいない」 とは、ボードレールの言葉だったと思いますが、 《ディベートができなくても詩は書ける(YES or NO》 という命題で、 苦手なディベートを、ではなく、溌剌としたディベートをしてみて欲しいですね。 まあ、議題(の方)は自由で、何でもいいんでしょうけどね・・・。 * * * 例えば、こんな【命題】 ①《ディベートの慣習が無い国に、議会があっても滑稽である(YES/NO)》 ② 《現代アートは、芸術ではない(YES/NO)》 ③ 若い人は、老人よりも頭が良い(YES/NO) 肯定側/否定側、どちらに立つにせよ、反対側の論者を論破できますか? (というより、反対側の立場に立って物が見られるでしょうか?) まあ、③は、ナンセンスですけどね笑 YESだとしたら、天才児は、歳をとる毎に馬鹿になっていく、ことになりますからね。 結局は、集団単位、世代単位で括れる話ではなく、単なる個人差の問題なだけでしょう。 人間というのは年月を経ても、ほとんど変わらないのが現実でしょう。 大昔、ソクラテスは、「一番無知な自分よりも、立派で権威ぶってる人たちのが何と愚かなことか」 と実感を素直に語ったせいで死刑にされたが、 ・・・・果たして、現代のいまも、そうした構図が変わってニンゲンが向上したと言えるだろうか。 (終) 少なくとも私はおぼろんのことは一人の人間として尊重してますよ。 一人でも味方が居ると元気になれますよね。あんまり無理しないで 最近はゼニも見ないネット完結型の拝金主義になっているのですかね。 株も上がってやっとインフレ物価はもっと上がっていくのでしょうか。 今さら、欧米型の資本主義は日本文化には馴染みませんでしたなんて 結論だけにはならないまま、衰退していくのでしょうかねかねかね^^ 中華は地方政府の借金2000兆円なんてネットニュースか何かに出てた けど、なんなんでしょうかねかね。話しがデカすぎて割り勘で消費税 をどちらが出すかでお酒の席が剣呑な場に雰囲気変わった経験のある 私には、真のマクロ経済サッパリわからん。今後は見える化透明掲載 の文章が流行るのではないかと思いますけどね(ヒント)。 日本のカルチャー交流教育が発展しないのは、まあお役人任せのダサさもあるんだけど、なんでもお金に結びつけることですね。…とは言いながらも私自身袖の下から御礼をそっと出したりする癖に… 人が集まれば最後は必ずやれ集金拝金ですよ。小遣い稼ぎをもろに感じさせる出来のわるい講師が腐るほどいるし。飲み屋さん。お任せの後払い文化が定着してきたせいだね。日本人は礼儀正しい。そのぶんお金にも礼儀正しいんだ。安全協会に入りますか?ううん、ハイ入ります。こういう有耶無耶が実際には交流を妨げている要因だと思うのです。 最近の発見は、歳をとっても行き着けない 領域があって若い時からの積み重ねなんだと。 私はたまたま運が悪かった(良かった)だけ。 そこに早いうちに気づくことが大切なんだと。 日本人がディベートを苦手としているのはディベート教育を受けないで育ってきたからなんだろう。日本人通しの相手もディベートが苦手通しでの論争ではたいした発展も望めない。若いうちに教育を受けたか否かで残りの人生は歳をとるほど差がついていってしまうのだろう。詩は教育だとは思わないけどそれでもネット詩の好きな日本人の中には足りない教育を満たしたい欲求がある心根の素直な人達が少なからずはいる。 おそろしい怖しいのはそういった人達をカモにしているハイエナがいて、 彼ら人のマスクをかぶった人ではないヤツらは私のエサになるのだけど、 心根の素直な人達よ。騙されないでね。 >>71 最後に追記し忘れました。 ただ、残念なことに、シアワセな人の「シジョー」は私情であって詩情ではなく、 知性もまた、洞察と言うには浅すぎる、という感じが(私には)する。 (追伸) というだけのことですが、「シジョー」が市場である様な人に限って、 至極真っ当な事を言われると、古いと感じるようですね。 それは感受性とは何かの問題ですね。 カタカナで書かれると激怒するような人が、シアワセな人なのかも知れませんね もしかしたら。 アラガイさん。僕は「ほとんど居な」いなんて、言ってませんからね(笑)。 もっとも、いまは、市場を重視する筈の TVドラマも悲惨なほどツマラナイですから、 脚本家も「ほとんど」居ないのかも知れませんね。 これで私からは以上です らどみさん、孤蓬さんは活きておられますよ。誰とは言わないけれど、たぶん笑 詩人とは、究極的に答えの問いを追い求めれば、ハーモニーベルさんのおっしゃるとおりなってしまうんだけど、それでは詩書きのほとんどが居なくなってしまう。笑 皆さん詩の本質とかよく仕様されますが、詩の本質ってなんだろうね。伝えるだけならば言葉だけで充分事は足りる。発声にしても書き言葉にしても本質は相手に伝えるという目的だと思うのです。そこにはもちろん意味が生じてしまう。だが詩は違う。詩の本質とはそこに意味がなくても伝える目的がなくても伝わる。芸術の意義とは本来そのようなものだと思うのです。 >詩とは何か感じたこと 商行為とは商人が行う行為をいう(定義①) 商人とは商行為を行う者をいう(定義②) というわけで「詩」とは何か、感じる為には 「詩人」とは何かを感じる必要があるようだ。 私は、まず、詩人についてはこう感じる。 詩人とは、詩人になりたくてなるものではない。 そういう人は、詩人ではないのだ、本質的にも根本的にも。本当は。 詩人とは、そんな者にはなりたくないけれど、どうしても なってしまう哀しい運命にある者のことなのだ。 そういう詩人の運命にある者、すなわち《詩人》が書くものは、 詩を書こうとしなくても、そこには自ずと詩があるものだ。 書いたものが、エッセイであれ、コメントであれ、そういう人が書いたものに は、必ず《詩》が宿っているし、宿ってしまうものだ。 本質的にも根本的にも詩人でない者が、逆に、詩を書いてみても そこに、詩は現れない。 そういうものなんだろう、と私は感じる。 こういう細やかなスレッドにおいても、何かが書かれ、それが文であるとき そこに、たいした《詩》がないのであれば、その書き手は推して知るべしの者 でしかない。と。 もっとも、平凡に生きられる人の方がずっとシアワセなのだろうが。 朧月夜さん 良い示唆盛りだくさんのコメントありがとうございます。 思えらくテレビに出るような歌人が仮にしの解釈はそれぞれ自由だと言っても その立場で言っているに過ぎないのではといつも思いますねう押井守先輩には 敬意しかないけど朧月夜さんが内心で思うのはまったくもって世界中の誰もが 不可侵入の領域にしても声にだすと文字にしてしまうと途端に何かが嘘になる。 詩人は正直か嘘つきかの表層的な「言い争い」ではいつまで経っても偽詩人から 次のステップに進めないと僕は繰り返し言ってきたつもりだけど、何処かで、 今までも何度も繰り返してきたから結論も見えているからつまらなくなるのです。 結局は人生1しかないのだから1の内容を常に変えて生きていきたいと思います。 朧月夜さん なんだか、せかしてしまったようですが返信ありがとうございます。 朧月夜さんの私個人の印象を読んでそのへん語ったことないからか、 文極は私は1つの流れに乗っかって参加させてもらった経緯があり、 複雑なのですね。現代詩フォーラムに居た弧篷さんとのやりとりも とても楽しかった(過去はよく見えるというのではなく詩に辿り着くのは どのような道でも良いのに彼らは何故あえて違う道を進んでいるのかと 絡んできた時は興味もありましたが途中からはうんざりして過去ログにも 書いたけど彼らにとってはバトル私は単なる会話の「繰り返し」でしたが) 名のある哲学者の伝えたいことを理解するのは詩と同様に骨の折れる作業 だと日々感じます。私なぞ昨日までどんな頑張ってもdoing by doingで、 同じ繰り返しの毎日で足踏みし続けていましたから。朧月夜さん朧月夜さんの 伝えたい人は人なのだなと強く感じます。人サイドからの言葉を語ること の重要さはとても素敵です。文字媒体の延長としてネット活用をしていると 「文字は独立する」時は、近いうちに来るのだと冷めた目で見がちですから。 例えば最近はますますスパムメールの量が増えて制御出来なくなるのかとか、、、 なんて、道は違いますが、いつの日か「詩が書ける」人に私もなれるのかな? 詩とは何か? 難しいですよね。 言葉の沼にハマってよがっている人達は強制はしないけれど 目を覚ましてほしいのは、そこから這い上がって書いている 多くの詩人がいるということは、まだまだ先があるのになぜ 立ち止まっているのだろうか?詩は紙と鉛筆が有れば出来る 安い趣味のはずないのに、何故、はしりださないのだろうか? わからないことだらけ 朧月夜さんへ えーっと、隠れて読んでいました(^_^;アセアセ 名前が上がったので思ったことを描いてみますね。 論戦の場ではないというイメージで伝えたかったことは、 所詮は私たちは世界に名を残してきた大哲学者ではない わけだし、同じテーマで学ぶ者同士でもないわけなのに インターネット開放後(1995年後)すでにオンラインで 互いの文字だけをたよりに切った貼ったの繰り返しには 根っこの部分であんまり学ぶべきこともないのだろうと、 ネット経験上で、歳をとった伝道師みたいに伝えていき たかっただけなので、階段を登ることは健康にも良いわ。 朧月夜さんの文から溢れ出ている純粋に再確認したいような 文章は、何度も読み直したいし、意見を書いても良いのなら そこに詩があるかもしれないからここのテーマだし書きます。 というか、描かせてもらおうかなつと 読んでいて、そうだよなぁと思ったことは、時代は流れている という表面に出されている文字の裏での激しい流れでした。 有名なネット上での論争に積極的に参加したこと書いたことは 過去一度もない自分ですけど、読んだことはあり発展しないな とすぐに飽きてしまったし、若い人の儀式みたいにコロナ禍を 通過した今の準備期間は、若い人だけではなく誰しも何処かで うんざりと何かから逃げる備えをしていることだと思いますよ。 私は実験的にAIとお付き合いも(inkweaverさんごめんねー) 経験してみて気づいたことは、これからの人はAIにはなれない (当たり前だけど)のだから、経験則で言ってしまうと棲み分け なのだろうと、それって、このサイトの強みだよなぁー(笑)と。 と言っても、発展する世の中を無視しても取り残されるので、 1つの場所に一所懸命ではなく、普遍的にだけど実践に「ある」 になる行動を動物的本能で無意識のうちにとっているのだろうと。 朧月夜さん、良いとこついているなぁと意見というか、感想です。 ひだかくん、さん。労働や仕事するために生活するなんて意識は高度経済成長期にモーレツサラリーマンで身体を壊した人たちのポリシーで、今の人たちにはそんな認識はないですよ。むしろ如何に楽をして生活できるだけの仕事や労働を手にできるのか。それ以上の欲もないでしょう。欲を張るのは他人の袖に隠れて無賃乗車してやろうと企む粗悪な輩たちでしょう。ネット社会になってそんな人間たちが増えた。それはキツい労働をする仕事にかぎって賃金的に報われない。この不平等感をちゃんと認識しているからで、高齢化社会を迎えた今日では人手の供給も足りず、誰もそんな仕事を好き好んではやりたがらない。それでも稀少な意見の人間もいたりするのだが、私は社会が手厚く補助しなければ続けられないと思う。ベーシックインカムは大賛成だが、目指す社会のビジョンがなければこれも幻想に押しつぶされてしまう。 追記 労働力商品としての扱いは次第突然に労働商品へと侵食して行きます。 要するに 、生活するために労働する仕事する が、いつのまにか労働仕事するために生活するへと逆転していくのですね。 その現状リアルに詩想直観を徐々に侵食させ変革へと結び付けること其処に詩表現のリアリティが在るのでは?と、取り敢えず。√ 朧月夜さん、 詩表現でしか表せないモノが確かに在る のです。 それは商品経済、人間を労働力商品として呑み込んでしまう 資本主義経済社会の普遍化下部組織としてしまう現代社会に対する 精神霊性の魂に依る反逆だと僕は直観します。 砂浜に書いた言の葉 夏の夜 波打ち際の 微妙なとこに >>49 面白いです そこで、逆転して欲しいです。 流石に夢物語ですけど 読んで何かしらを感じた方が 書き手になる 書き手が書き手を増やす、豊かですね。 その可能性はなくはないと思います 句なら 小規模ながら、実例はあるから 自費出版本が主流になり、売れれば、出版社も書店もローコストでイケるわけで、儲かりますね! もちろん、自費出版の方が筆者へのマイレージも増えますものね! ウィン・ウィンになって、いいですねぇ!!! あと、コンビニとか、病院とか、老人ホームに置いてもらったり・・・ そうこうしているうちに、自費出版本が話題をかっさらう日が来ることを 願っています。 そうなんですか!オンラインショップはあっても、自費出版本だけを売っている書店がないんですね? じゃあ、わたし、パイオニアかなぁ~( ´∀` ) 作って、チェーン店みたいにしていけないかなぁ。 だれか、作ってほしい。 んで、もっと気軽に自費出版本を読めるようになったらいい。 あと、自費出版本を置いている図書館とかあっても良さそう!! 楽しそう!! ぜひ、誰かに、それやってほしい!!! それか、自費出版本だけ売ってる、オンラインショップとかなら、 書店開くより、コストがかからなそう。 もう、あるのかな。 自費出版は、わたしは大変だなぁ。 大変な人、多いんじゃないかなぁ。 自費出版本だけ売ってる書店とか作ったら、良さそう。 おぼろん 様。そうなんですか!自費出版。 う~ん。 自費出版というと、フォローしてくれるところと、してくれないところにわかれますもんね・・・ CM、ネット、新聞、雑誌・・・ あらゆるメディアを駆使出来るわけです。 宣伝部門というわけですね。 それが、いわゆる会社の広報とかになるわけですよね。 作品の、商品価値を上げるためのバックアップをする仕組みも必要ですよね。 それが、出版社だったりするわけですよね。 おぼろん 様。 詩は個人のものであり、他者のものでもある。 もっともです。商品としてみることも出来ると、私も考えます。 その商品価値をあげていくのが、筆者でもあり、読者でもあると思います。 それが、研鑽につながっていくと。 1 2 3 4 5 6 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。 ![]() 0.1sec. ver 050714.4.0 | スレッドニュース |