詩と非詩の境界 自由詩の限界についてのメモ
片野晃司

あきらさんの問いかけ

作詩は若葉マークの身の上ですので、これから書いていくにあたり、技術上の約束事や注意点などについて知りたいのです。
現代詩も ただ自由に書くというわけにはいきませんよね。
どなたか ポイントをお教え下さい。 よろしくお願い致します。
あきら

http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=4#49
に答えるまでに考えたいろいろなことのメモ。

便器を美術館の展示スペースに据える自由が芸術家にあるように、さまざまなものを「詩」として提示する自由が詩人にはある。だが、無制限に概念を拡張し拡散させると詩そのものの意味を見失いかねない。ここまでは詩、ここから先は非詩、の境界を考える必要がある。
とりあえず、このくらいまでは詩、という飛距離を考えてみると、
・読めない記号で表された詩
・声だけで表され、文字に表せない詩
・3次元の構造をもち、紙などの2次元に表せない詩
・状態が不安定で再現性がない詩(ただし文字/記号あるいは声で表されていること)
このくらいまでは現実にあると思う(具体例を探すのはめんどう)。
文字/記号で表されるか、声で表されるか、そのどちらかであることが詩であることの条件であるように思う。それを外れると、絵画や彫刻、音楽その他のカテゴリへ逸脱してしまうだろう。逆に、そのどちらかの条件を満たしていれば、メディアが紙であれ金属であれ液体であれ気体であれ、立体であれ平面であれ、記号/文字あるいは声を置いて詩と主張することができる。
そのなかでさらに詩に制限があるとすれば、それは表現と社会とのインターフェースだろう。他人の塀に勝手に詩を書いたらいかんだろうし、読み手に身体的な危険が及ぶような詩はいかんと。


散文(批評随筆小説等) 詩と非詩の境界 自由詩の限界についてのメモ Copyright 片野晃司 2003-10-08 12:58:19
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