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手っ取り早いから? 楽だから? いいえ。逆だと思います。 言葉は、メディアとしてはホントは落第生なのです。 でも、詩人などのアーティストは、抑制された範囲で、どれだけ力が発揮できるか、を知りたくてたまらんのです。 というか、ある枷、限定された手段だけを利用して何かを達成したいという、マゾ的な(サド的なのかな?)欲望保持者なんだと考えます。 あえて不自由な媒体を選んだのが詩人さんだと思います。 「手っ取り早いから」と「詩」の形態を採用した人は、まだまだ先は長いです、きっと。 by クリ あー、出会ってしまった というのが正直な所ですね。 あと、小説も、戯曲も書いてみましたけど、お話にならなかったし、音楽も、美術も人並みにさえ出来なかったんですね。で、詩だけが残ったわけです、俺の場合。 で、じゃあ詩は簡単かつーとそんなことはなくて、たぶん、リクさんの仰ったことに尽きるとおもいます。 ではなぜひつっこく書き続けているかといいますと、やはり言葉にどうしようもなく惹かれるからなんですね。救われたい とか 稼ぎたい とか モテタイ とかそゆーんじゃないんですね。 救われたい という時期もあったのは確かだけど、もうそんな時期はとっくに過ぎてしまったんです。それでも、書かなければ とおもっているのは ほとんど習慣なのかもしれません。常に書かなければ とおもっている 中毒みたいなもんかもしれません。 蛇足ですが・・・ 詩を表現の手段として、手っ取り早くて簡単で、効率がいいとおもっている人はそりゃあ多分勘違いですよ。 経験的にそうおもいます。 by 窪ワタル あ、こりゃ失礼 クリさんゴメンナサイ。 by 窪ワタル 何度かこちらのスレッドは目を通させてもらっていて 星もいくつか付けさせて貰っているのですが、 なんで俺が詩を書いているのか。 正直、よくわかりません。 理由が特に見当たらないし、使命感も義務感も優越感もないです。 なんでだろ。こういう書き込みはありでしょうか。 by 半知半能 問題提起ばっかしてて申し訳ない、のですが、えと。 小説はムービーだと北村さんは言うけれども、そして確かに大部分の小説はムービーなのだけれども、小説の中にはとんでもないものもあります。小説というものは非常にさまざまな形式を許してきた芸術です。手紙形式、カルテ形式、裁判記録の形式、アンケート形式、座談会形式などなどいろいろあります。ものすごく古くはいわゆるゴシック小説というものがありまして、これは物語を語ってはいるのですが断片からなりたっています。もう少し新しくなりまして日本のかんべむさしの「集中講義」「会議ひきのばし」、連想連想で言葉を連ねたストーリーのない奇妙な形式の小説です。最近でも(っていうほど最近でもないけど)津原泰水、牧野修の作品のような「これが小説なら詩はどーすりゃいいんだ!」と叫びたくなるようなシロモノもあります。単純に表記の面からみて、行分け・句読点なしという普通の行分け詩の体裁をとった小説もあります。とりわけJ・G・バラードが提唱し日本では筒井康隆が試していたコンデンス・ノベルという形態の小説、あーいうものは非常にデジタルで詩的な跳躍をするので、詩よりも詩的なくらいです。 したがって私には、小説と詩の見分けがつきません。なので私は、作者か批評屋が「これは詩だ」とか「これは小説だ」とか言うのをそのまま信じます。 私がみなさんに訊ねたいと思うのは、なぜ詩なのかってことでもあるんだけど、「なぜ自分の書くものが詩だと思うのか」ってことなのかもしれないです。もしも自分の書くものが詩ではないと思うなら、詩でなくってもいいやと思っているなら、「なぜ現代詩フォーラムという詩のサイトに投稿しているのか」ということも訊きたいなあと思います。 勘違いしてほしくないんだけど、なんていうのかな、詩じゃなくてもいいやと思いながら詩を書いてる人を糾弾するつもりはぜんぜんないです。むしろものすごく気軽に詩を書いてほしいなと思っています。詩というジャンルそのものはそんなに高級なものでもないと思っています。っていうかジャンルそのものに貴賤はないですわ。 なので、>>53みたいな書き込みに賛同する私なのでした。 by 佐々宝砂 ★はじめに ちょっと話の流れからは遅れますが。 モリマサ公さんが最初に、哲学を語った後で自分の事を語られたのが、私に はここでの象徴的な出来事に感じられました。 動機と哲学との乖離は、イメージが言葉を借りて表出され、詩が作者を蹴っ て世界に転生する時、すでに始まっている。哲学の先行が、詩に対する不誠実 さのごとく作者に直感された事に、私には詩の侮れなさ怖さの一面を見る思い がしました。 また同時に、そうした詩や世界への誠実さに殉じうる人の、すぐれた感受性 にも目を見張ります。…そういう人にしか、到達できない場所がある。 自分の論理や哲学に囚われて、表現のうちがわへ落ちてしまう詩の何と多い ことか。只の変換テーブルでは詩は作れないという事が分からずにいる人たち。 彼らは真実に迫る事なく言葉で言い訳めいた意識の壁をこしらえているだけで、 自分たちが詩の歴史を汚しているという認識すら無いに違いない、と私は肩を すくめます。 ★私のきっかけ 踏み絵を済ませておきましょう。 私じしん、決して美しい理由で詩を書き始めたのではなかった。実は大学に 入って東京に出てきた頃、イジメに遭ったのね。強くないと護れないものがあ るって事が、当時の自分には分かっていなくて。 それで何とか自分を建て直したいと思って、19になった正月から、ジョギン グなんかと同時に「週2編、詩を書く」という目標を突然立てて詩を書き始め た。日記では無かったけれど全くの我流。学校で教わった西脇順三郎と、D− day の暗号で知ったベルレーヌを掘口大学の訳で読んで。ベルレ−ヌ詩集から 恋仲だったランボーの事を知って、それも読んだ。でも勉強はそれっきりで半 年ぐらいは全く我流。結構恥ずかしい自己憐憫の詩も多かった。 で半年経って、こういう事をするからには専門雑誌も1冊ぐらいは読もうと、 厚木の有隣堂で現代詩手帖を買った。そこに平出隆さんが『胡桃の戦意のため に』を連載していて、強い感銘を受け現代詩へ転向して…という顛末は、以前 からあちこちに書いてきました。 ★いま書いている理由 いまは、やっぱり「面白いから書いている」のだと思う。 と言うか書き始めた当初から、自分や他人の文章表現の特異さに魅入ってし まうようなところが私にはあった。ナルシシズムとかお宅とか言われればそう かもしれないですけど。 それとともに、作文を通して世界の手応えを感じる事が出来るようになった からだと思います。自分に、他者や世界と張りあっていく自信を与えてくれた ものは詩だったし、社会的な使命感も充足出来て、それが最終的には私自身の 運命をも変えてきた。 ここまで生き延びられたのは詩を書いてきたからで、書いていなければ自滅 の顎から私は逃れられなかっただろうし、妻や仲間たちと出会う事も無かった。 ★私たちはほんとうにこの質問に応えているのか 私も不誠実のそしりを受けたくは無いし、詩を始めた動機や環境は決してキ レイゴトでは無かったので、敢えて踏み絵に参加させて頂いた次第です。 ただ、こうした類いの「私は貴方と違って不幸だから」的な体験の特異さを 詩をする理由として際立たせてしまうと却って読者をスポイルしてしまう、と いう吉田文憲さんの意見を、一色真理さんから教わった事がありました。 カワグチタケシさんはある合評の席で「誰でも、言葉を通じて他者と感情や 体験を共有する事が出来る」と断言していました。余りにも明快な答えに私は 驚きましたが、ことばにするという事は本来そういう事で。共有する困難さを 認めるにしても「あなたには分からない」で逃げる事は、言葉しかない詩人に とって許されない事ではないのか、と思うのです。 詩のボクシングで、癌患者だという中年男性の出場者が、ある少女詩人に敗 れる場面を見た事があります。敗れた相手が彼女で幸いだったと私は思いまし たが、実はそうした残酷さを前提に、表現の世界というのは成り立っている。 作者の動機や目的などは、読者・詩の受け手にとってはあとの話。まず自分 が関心を持てて楽しめる、或いは無視できない詩に出会えることが先であって、 むしろ『なぜ詩を読むのか』のほうが大事だと私には思えるのです。 『なぜあなたは詩を書くのか?』この設問に、なぜみんな「反射的に」自分の 理由ばかり書こうとするのだろう。私はこのスレッドに業界人的な自分の意見 を書くのは、実は「間違い」じゃないのかなと思う。 例えば古今東西の様々な詩人や評論家が語る『なぜ詩を書くのか』だとか、 あるいは詩に馴染みの無い人があなたに問う『なぜ詩を書くのか』と、それを 解き開かそうとする詩人の答えのほうをむしろ読みたい。そう私は願う者です。 2006/01/19〜23 大村浩一 by 大村 浩一 直接関係ないし、どうでもいいことなんやけど、 どうも「○○さんらしくて好きです」という類の感想が ひっかかってしょうがない。 それはその詩がすきなんじゃなくてそのひとがすきなんじゃないのか? あ、別にそれでもいいのか。 詩人も芸能人だからな。 by れつら 今夜、ドアーズの動画みてておもったこと。 私、これまでいろんなとこでいろいろとあれ読んだーこれ読んだーって書いたけど、 確かに私、たくさんのもの(割合からすると詩は少ない)を読んだけれど、 だけど、だけど、私、私が詩を書き始めたのは、谷川俊太郎のせいでも、 長田弘のせいでも、新川和江のせいでも、寺山修司のせいでもない。 まして入沢康夫や吉増剛造や田村隆一のせいでもない。 よく考えてみたら親のせいでもない。親に教わったっていやなことは続けない。 ジム・モリソンがわるいのだ。あの気狂い男のせいで私は詩なんて業に捕らわれた。 私は私を癒そうとして詩を書き始めたんじゃない。 さみしかったからじゃない。しんどかったからじゃない。辛かったからじゃない。 失恋したからじゃない。だけど、偉そうな理由さえ、ひとつもない。 ただ惚れたからだ。ほかに理由あるか。 私は好きなひとのようになりたかったのだ。 ううん過去形にするのは間違いだ。 私はあのひとのようになりたいのだ。無理だとしても。否、無理を承知で。 今夜、彼の"Texas Radio"を聴いておもった。あれは音楽に乗せてるけど、 歌じゃない。あれは詩の朗読だ。私はああいうものがやりたかった。 (なんで過去形にしてしまうんだろう、ほんとうは違うのに、違うのに) 私はああいうものがやりたいのだ、今も、わずかにでも、可能性があるのならば。 愛されるのはそもそも無理なのだし望んだこともない(相手はもう死んでる)。 好きなひとのようになりたいっていうのは、おかしいことだろうか? そんな理由で詩を書くのって、へんなのだろうか? by 佐々宝砂 理由をもうひとつ見つけたので書いておく。 願望充足のため。自分のためだけの天国を妄想だけでなくつくるため。 もっともそれは詩じゃなくてもいいと思われる。 むしろ詩じゃないほうがいいかもしれない、と最近思っている。 #感情吐露、独白、毒吐いてすっきり、オナニー詩というのとは違う。ねんのため。 #どっちかとゆーとオナニーのオカズを自分で作るのであるよ。 by 佐々宝砂 詩人だから。 by 大覚アキラ 個人的な無差別テロ計画のメモとして。 by れつら 私の病気は玉ネギ畑だから。 by 佐々宝砂 どうせ誰にでも書けるって知ってるから。 技量の違いはあれど、書けると思う。 けれどみんな書かないから。 敢えてをやりたいひねくれ者ですよんw by 雨流れ。 とりあえず現フォにきてる人は詩か詩に関するものを書くか読むかしてるんで、 「みんな」じゃないと思うんだよなあ。 by 佐々宝砂 ボケ防止 by 花形新次 未来への参照 未来への参照
ただ純粋に書きたいから? 書かずにはいられないからですか? それほど言葉があふれてくるのですか? 趣味で書いているのでしょうか? 書くことでは救われないと思います。 詩を書くことで、こうしたい、とか明確なビジョンをお持ちの方もいらっしゃるのでしょうか? 詩を書くことは楽しいことですか? ものすごく幸せな生活から、詩は生まれて来ない様に思うのは私だけですか? そんなこと考えもせず、詩を書いているのでしょうか? あなたの詩論、詩人論、ぜひ聞かせてくださいね。 小学生の頃、サソリと女王があかい宝石と薔薇を交換する詩を読んだのがきっかけ。 詩のことはよく知らなかったけど、書きたい、と思った。 学生の頃は、言葉と絵が、溜まったものを吐き出す方法で、書かないと無理だった。 今は、ガガッと、ときどき降ってくる。から。 大した詩は書けないけど、書かないともったいないと思うときがある。 それに、うまくいくと楽しい。 きっかけは、A君に殴られたからです。 高校のころのクラスメイトで、何故か一方的に殴られて (僕はどうやら、人を怒らせやすいみたいで。 僕は誰かを嫌うことなんか滅多にないんだけれど。 今にしても何故殴られたのかわからない。) 状況を説明するのに、書け、と先生に紙を渡されて、 起きたことを順番に書かされた。 それが案外冷静になれて、良くって 自分が考えていることの訳が分からないのなら、 書き出せばいいんだ。と、 それがきっかけで、ノートにだらだら書きはじめる。 これなんだろう、と思ったときに、一番近いのが詩かな、と (当時は、短くて、改行の多い文章はみんな詩だと思っていた。 今は、僕の書いていた(いる)物は、詩もどき、だと思っている)。 それがはじまり。 A君が短気だったことに感謝。 長文、失礼しました。 ちょっとした、日記代わりですよ。 ここにシャーペンがあったからか ボケ防止 のへたをらふくのりかりがだから。 よく分からないけれど、きっと残したい。瞬きを。 金がほしいから #言ってみたかっただけ まっくらの中で 言葉が体を照らす。 自分がどこまであるのか 確認する。 消えていないことを 確認する。 畢竟、詩とは異性にモテたくて書くものなのじゃァないか。 しかしわたしの作品を読んで、わたしを好きになった異性はいない、と思う。そこにわたしの作品の問題点がありそうダ。 そろそろ真実を伝える時がきたようだね。 君だけに教えよう。 書き捨てられた詩の彼方にあるという ガンダーラを探しているのだよ。 私は多くの場合において書くことを選択します。 なぜならば書かれた言葉のほうが、より良く私自身を現すからです。 私は私の周りの人々がするほどには非言語や音声を用いた伝達手段を上手に扱えません。 私の選ぶ言葉はどのようなものであっても私に関する真実を表していますが、 私の生存の過程を知り得ない人々にとってそれらの言葉は何らの意味を持ち得ない可能性があります。 日記の代わり。 なんでかなあと思うのだけれど 比喩でしか言えないことや 比喩でしか言いたくないことや 比喩めかして言ってしまいたいことがある から 気に入れば 石ころでも ならべたい。 ことばが 気に入れば ならべてみたくなる 石みたいに ならべたら オセロのことがある あんがい すごろくのこともある。 かと思ったら 自分でもわからないところで腑に落ちて すくわれたりして ミラクルだから。 悠香のお茶石鹸で真矢みきが「あきらめないで!」って言ってるから。 書かなければいけない、気がするから。 #たまには素直に書いてみた とりあえず現フォにきてる人は詩か詩に関するものを書くか読むかしてるんで、 「みんな」じゃないと思うんだよなあ。 どうせ誰にでも書けるって知ってるから。 技量の違いはあれど、書けると思う。 けれどみんな書かないから。 敢えてをやりたいひねくれ者ですよんw アウトプットの練習。祈り。セラピー。暇つぶし。メモ。わすれないようにわすれないように。 てことで自分による自分のための。 でも人目も気になるなあ。 こういうフォーラムがあるの最近までしらなかった。 楽しい。 ここだけの話ですけどね、白い光を見たんです、信じてもらえないかもしれないけれど。 勉強ができないから #あっしの書いたもんなんざ、詩なんて、そんな立派なもんじゃござんせん。出来の悪いアイコラみたいなもんでさあ。 好き嫌いがちょっと減るから。 やっとかけそうな気分になってきた。にや。 ふうん。詩をかくのって、比較的簡単なのか。知らなかった。 あまり推敲を必要としないのか。意外な事実だ。 私の病気は玉ネギ畑だから。 リクツじゃない・・・ 魂の勃起を言葉でなだめてるんだろうか? ま、自己満てことで。 勘違いしているから。 たけしのオールナイトが終わったから 書かなきゃ壊れる。 壊れたら書けない。 書かなきゃ笑えない。 笑わなきゃ書けない。 知識を余計に詰め込まれたとき 誰かに話しかけられてふっと目を細めたとき どうしようもなく無茶苦茶になった時 どうしようもなく無茶苦茶になりたい時 そしてどうしようもなく幸せに感じる時 私は頭の中で詩を書いてます。 なぜ詩を書いてあるかというと 「あなたは詩を書く人ですよ」と 真っ赤な他人に言われたことがあり、そんなこと忘れて生活したのですが、ずいぶん時間を経てその言葉を思い出してしまったので書いてます。思い出さなかったら 書いてなかった。私が詩を書くのは私の性ではないです。どこのだれかも わからない人の性です。 もともとがそんな風ですから、詩の言葉なんて わたしには そうそう溢れてなんて来ないです。けれど、言葉がすこしも溢れてこないので詩が書きたいのです。オツムの中に なにもないままでは いられないのです。なにもないからこそ、そこに なにしかしら 玉みたいな言葉あると 鈴みたいで 楽しい。 私は 真剣な悩みがあるときは 詩ではおさまりきれない言葉で頭の中が ややこしくなります。そんなときは詩では 間に合わないので、喋ったり 長文にまず書いてみて 物を読むのに忙しくなります。そうこうして、できるかぎり 論理的に頭の中を組み立てなおしたりします。考えに考えて ふと どなたかの詩を読むと ときどき あっさり救われたりすることがあります。 救われると キブンが良いので、ああ やっぱり詩は良いものだと思ってしまうのが詩の魅力です。わたしも こんな気持ちをだれかに味わっていただけたらいいのにと 思ってしまいます。 私の中は 良い詩のお陰で すっかり なにもなくなり 私は私の詩ができるのを ひたすら待つ日々が始まるのです。 私が詩を人に見せるときは、子供みたいに はずかしいです。詩を書くことでは救われないです。大抵の場合は 恥ずかしいばっかりです。 自慰だとおっしゃることのできる方の詩は かなりの確率で 良い詩か多いのは なぜでしょう。 ふっと、なにかつかみかかったときってありますよね。 ものすごくしあわせななときもしんどいときも。 誰にも読まれなくても詩なんだろうか。 自分の書いたものを読み返すと昔の感情が呼び起こされるからそれだけでも意味はありそう。 なんで他人の詩を読もうとおもうんだろうか。 人間に興味があるからかな?なんでだろう。 なんで読んでもらいたいとおもうんだろうか。 対話がしたいのかな?おしゃべりじゃだめなんだろうか。 何のためにがわかってもやっぱり詩を選ぶんだろうか。 自分のことが一番わからない。 スケッチをしたいとき 故障したとき 恋をしてしまったとき 主にこの3つです。 ボールペンの試し書き 「下手くそ!」となじられるのが快感で。 同じ理由でセ〇クスもやる。 従って、どちらも上手くなれない。 1 2 3 4 5 6 7 8 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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