「 ナナメ。 」
PULL.







 傾いていた。
 傾いているので歩くごとにそちらに、ずれる。ずれるのでずれないように歩こうとすると、さらに傾き、またずれる。急いで、いる。なのでずれるのにも構わず、ずんずん歩く。歩いているとだんだん傾きに馴れてきて、そのうちにどちらが傾いているのかわからなくなる。わからないけれど、だけどやっぱり傾いているので、一歩ごとにずんずんずれて、いる。
 駅に着く頃にはもうかなり傾いていて、馴染んでいた。乗客でごった返す構内を傾きながら、傾いて先が薄くなった鞄を開け、切符を、出す。斜めになって、細い、改札を通る。
 後ろの方で、声がした。振り返ると、すっかり傾いた駅員が切符を見て、渋い顔をしていた。どうかしましたかと尋ねると、駅員は真っ直ぐに首をかしげて、傾いてないと、答えた。そんなはずはないと言い返すと、駅員はさらに首を真っ直ぐにかしげ、いや、これでは傾いてないと、言った。隣の改札では、さして変わらぬほどしか傾いていない切符を持った乗客たちがすいすいと、通り抜けてゆく。彼らは一様にこちらを振り返り、指を指し、二言三言、何事かをひそひそと呟き、階段の向こうに消えて、ゆく。気がつけば、他の乗客の姿はどこにもなく、ひとり、残されていた。駅員はなおも真っ直ぐに首をかしげ、切符を、見ている。
 急いで、いるんです。そう言うと、駅員が斜めに、頷いた。なるほど…だからか。頷くほどに斜めになりながら、駅員は続けた。それなら仕方ない、切符を貸しなさい。駅員は懐から改札鋏を取り出し、切符の端にかちゃりと、鋏痕を入れた。急ぎなさい、あなたの列車はもうすぐです。駅員の声に押し出されるように改札口を抜ける、階段を駆け上がる。階段は登るごとに傾き、それに落ちないように踏ん張りながら登ると、また、ずれる感じがした。握り締めた手の中の切符はさっきよりも傾き、鋏痕の角が、手のひらを刺して、いた。

 ホームでは列車がすでに到着していた。切符に書かれた番号を確かめ、車両に乗り込む。ずんっ。合わせたように列車が揺れ、発車した。外の景色が、ゆっくり傾き、流れて、ゆく。扉を閉め、細い、通路を斜めになりながら座席に着くと、先客が、いた。先客は三名いて、彼らは皆、おなじぐらい傾いていた。すいません通してくださいと言うと、彼らは目を斜めにして、嫌そうな顔をした。視線を感じないようにしながら、斜めに、窓際の座席に座る。座席はゆるく傾いていて、体重を掛けるとなおゆるく、傾くのだった。背もたれに背中を預け、ゆっくりとひとつ息を吐き、目を閉じた。疲れていた。目を閉じても、彼らの七つの目が、斜めに、感じられた。
 ぎっ。中で音がして、胸の撥条がひとつ、解けた、臍の歯車が、ずれる、感じがした。かたく目を閉じ、さらにかたく目を閉じ、ふかい腹の奥で、祈った。この音がどうか外に漏れませんように、誰にも、外の誰にも聴かれませんように、そして、どうか向こうに辿り着けるまで、この胸の撥条が、弾け飛んでしまいませんように、いっしんに祈った。

 目を開けると、彼らの七つの目はもう斜めではなく、傾いていた。窓の外は捩れるように垂直に傾き、ごうごうと流れ渦を巻き、混濁している。
 ぎっ。また音が、した。












           了。



散文(批評随筆小説等) 「 ナナメ。 」 Copyright PULL. 2007-11-22 20:13:43
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