人が行方不明になるというのは、何も山に入ったきり帰らぬとか、海に出た船が戻らぬとか、そういう劇的なことばかりを指すのではないらしい。むしろ、もっと静かな、そして当人にとってもほとんど自覚のない仕方で起 ....
濡れた布が顔に触れると、
母親の腹の中みたいな匂いがする。
生ぬるくて、逃げ場がない。
そのまま息を吸う。
拒めばいいのに、従順だ。
俺は普通だ。
自分でも驚くほど。
決まっ ....
町はゴミに支配されている。
誰も認めたくないが、ゴミがなければ、
町はすぐに消えてしまう。
ゴミはただの廃物ではない。
町の歴史がそこに溜まっている。
誰かが笑い、泣き、怒り、諦めた痕跡 ....
あの人は、夜になると机に向かう。
昼間は静かで、どこか所在なげに庭を歩いているくせに、夜になると別人のように背を丸め、灯りの下で紙に向かう。私はその背中を、何度も見てきた。
ランプの火が揺れる ....
朝刊の隅に、指先ほどの四角がある
折り目の影に半分隠れて、誰も気づかない
《同居の父(六八)を刺す。無職の長男(四二)逮捕。動機は黙秘。》
それだけだ
血の色も、部屋の匂いも、畳のへこ ....
朝から頭の中が少々騒がしい。
騒がしいが、音はしない。
音がしないのに騒がしいのは妙だと思う。
だが、妙だと思えるうちは、まだ大丈夫である。
もっとも、「まだ大丈夫」と声が急く。
急 ....
祝祭
⚫️
光の広場
高名な建築家の最後の作品だと聞いた
帽子の男が私で
子どもの声で満ちている
風に揺れる旗は、祝祭の印か?
水たまりに空が落ちて
覗くと私よりも帽子の方が
....
人は立つ。
立つとは
わずかに倒れ続けることだ。
完全に静止した者は
すでに倒れている。
血液は
閉じた管のなかで
絶えず逃走し、
骨は
内側から崩壊を延期し続けている。 ....
気がつくと、そこに立っている
誰に言われたわけでもない
合図もない
だが、前任者が退いた瞬間
床の上に薄い印が浮かび上がる
そこだ
立っているだけでいい
見ているだけでいい
....
煙突から、まっすぐ煙が立っていた。
冬の午後。工場の裏手で、ふたり立ち止まる。
「今日は素直だな。」
「何が。」
「煙だよ。曲がらない。迷わない。出たら、出っぱなしだ。」
「 ....
あらっ、雪
と、妻がいった。
予報は当たるもんだね
予想はたいてい外すのにね。
これは、積もるわね、きっと。
喜ぶのは、子供だけだよ。
せっかくの休み
寝床から出ていくの ....
人生は、「意味が最初から用意されていない時間」。目的や正解が先に置かれていない、生まれた瞬間「これが答えだ」という台本は渡されず、ただ時間だけが与えられる。その時間の中で、何かを欲しがり、何かを恐れ、 ....
この国では、芸術は意味を与えないことを目的としているらしい。目的という言葉が正しいかどうかは分からない。ただ、意味が生じかけると、誰かがそれに気づく前に、自然と処理されてしまう。処理という言い方が一番 ....
今村昌平は、人間を撮っていた。
いや、撮っているというより、そこに居座っていると言った方が近い。カメラは回っているのだが、回っていることを主張しない。ただ、人と同じ重さで、その場にある。今村の撮り方 ....
ゾウは深刻な顔で悩んでいた。
鼻が長すぎるのである。
長いというより、余剰だった。用途不明の延長コードのように、床にとぐろを巻いている。歩けば踏む、踏めば驚いて鼻が跳ね上がり、跳ね上がれば自分の顔 ....
朝、主人は何も言いませんでした。
何も言わない、ということ自体が、すでに何かを言い切っているような沈黙でした。
起きてくると、主人は卓に座り、腹のあたりに手を置きました。押しもせず、確かめもせ ....
病院で渡された書類を、
私は椅子に腰掛けて読んでいた。
本文は簡潔で、
氏名、生年月日、
必要事項だけが並んでいる。
安心できる文章だった。
ところが、
下の方に小さな数字が付い ....
フェリーニが言った。
「映画はね、サーカスだよ。象がいて、道化師がいて、最後はみんな死んだふりをする」
アントニオーニが言った。
「いや、映画は空白だ。人間がいなくなった後に残る、風の通り道 ....
「なんたらかんたら」とは、なんたらであり、かんたらである。いや、正確に言えば、なんたらでもかんたらでもないが、同時になんたらでありかんたらでもある。その曖昧さこそが、なんたらかんたらの本質なのだ、と誰 ....
わたしは鏡だ。
光を返す前に、沈黙を受け取る。
顔が近づくたび、
人は自分を探しているふりをする。
だが探しているのは、
赦しか、断罪か、
どちらかだ。
わたしは答えない。
答 ....
時間は道にも、扉にも立っていない。
それは胸の内側に潜み、
こちらが目を閉じても、
なお問いを発し続けている。
朝は救済としてではなく、
告発として訪れる。
目を覚ました瞬間、
私は ....
影絵は遊戯ではない。それは夜が自分の来歴を語るために用意した、沈黙の劇場である。
私は障子の前に手をかざす。すると五本の指はたちまち骨ばった枝となり、枝先には名もない鳥が止まる。鳥は鳴かない。た ....
撤収は予定どおり、午後五時に開始された。予定どおり、というのは、時計が五時を指していたという意味であり、撤収という行為が本当に始まったかどうかについては、確認する術がなかった。知り合いの集団は、知り合 ....
『ブリキのタライ』
の件で
頭が一杯だ
タライ一杯では
足りない程
頭から滴り落ちている
視覚化出来ない
その滴りを
眉間に、受けて
鼻を通り
眼窩へと流れ込み
頬を濁流と
化 ....
雲もあ
あ数が多いと
物質的になって 惰性のなかの
大道具にしか感じられない
何も起きないのが、一番の
テーマなんだよ
テーマを口にするようじゃ
もう駄目さ
ぼくは監督に深々とコウベを ....
理由
家族らしい人がとりすがって
泣く理由を探している
ぼくに家族が居たかどうか
薄れ始めた記憶には術は無いのだが
爪の長い指が業者のように
内臓を捌きながら あゝ
この胃袋には
....
娘はクリームソーダをずるずると啜っている。そのずるずるが気に障るので、やめろと云うと、ストローを離し、唇にあてた。でも小さい娘には、硝子の容器が大きいので、両手で持っても飲みにくそうだ。「ほんと意地悪 ....
いつもの部屋
寝返りのうてる高さに枕を濡らす。身体に比べて耳が異様に巨大化している。右耳だけが。心臓を上にして横になっているので、重さは、苦ではない。耳朶が足先まであり、指で弾力を確かめて、 ....
人宿り
もうすぐ僕が降ってくる
はるか高い屋上の
錆びた柵を乗り越えて
西日を浴びた夕刻の
遠い目をした僕が
真っ逆さまに
降ってくるでしょう
僕の僕だけの降人予報
確率は7 ....
きみとぼくは警察に追われている
ぼくは強盗をしたらしい
きみはその手引きをしたらしい
派手なカーチェイスがあり
奇跡的な突破があり
きみとぼくは南国の
テーマパークにどうにか
辿り着 ....
1 2
0.23sec.