こもんさんの詩について思うこと/渡邉建志
 
この補助動詞をわざわざ使うことに作者の特徴がある。
この「ある」は決して自然ではない。「いる」のほうがずっと自然だ。
自然な補助動詞「ある」は、たとえば「置いてある」とか、「書いてある」とかの
使われ方をするだろう。それは完了・継続・残存をあらわし、
そこには明らかに「そっちをみてみろよ」という示唆がある。
「ほら、そこにあるだろう?」という示唆がある。存在の示唆である。
しかし、作者がここで使っている「ある」は、さらに針が補助動詞から動詞に振れて、
動詞としての「在る」に近いと私は感じる。
仮に音読するならば、「ある」に(も)アクセントを置くだろう。

ここで注意したいのは、
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