こもんさんの詩について思うこと/渡邉建志
そして手=陰茎はタたれた上で、一つの花束として。
再び反復について。
「束ねられる」の碑文性は二度生かされる。
「追い出されてる、追放済みの、追い出されてる」
反復される焦り。
短いうちに「追い出されてる」がサンドイッチ状に反復されている上に、
はさまれた「追放済みの」、もすでに同意語である。
その異常性は加速してついに動物たちは手=陰茎を断たれるのである。
動詞について。タたれるについては省略。ここで強調したいのは「ある」である。
その両手はすでに断たれて、
截たれて、絶たれてある
タたれて「いる」ではないのである。タたれて「ある」、という。
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