詩を描く、という個性/はらだまさる
 
で馬鹿騒ぎすることも、都会の雑踏の中で好きな人の手を握ることも、電話で誰かと話しているときも、暗い部屋でひとりキーボードを叩くことも、山の頂から、夜景の灯りの一つ一つを感じることも、総じて孤独の痛みを和らげる行為なのではないのだろうか。あの人は友達がたくさんいて、結婚もしているし、子供もいるから孤独ではないと、云えるだろうか。答えは否、である。孤独である。

 詩を描くという行為、コトバで何かを表現するという行為が何千年と続けられるひとつの理由に、孤独の痛みを忘れるくらい人々を偏執させる、呪物崇拝的な、「謎=生きる」というものに対するフェティシズムが潜んでいる。宇宙の謎が全て解ければ、人は生き
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