詩を描く、という個性/はらだまさる
連なる瞬間を生き抜くために○○○○某という名を名乗り、その言葉によって世界との断絶を認めさせられたうえで、所在なさげに人間という凡庸な「イデア」を引き受けながら、何とか現世に適応させて生きている、と謂えなくはないだろう。それは狂人や天才などの特別な存在に限らず、誰もが同じようにその痛みを感じることが出来るはずだ。その痛みの「イデア」を、結局のところ共有しようとするところに、コトバがあるのも確かだ。どんなコトバの向こう側を覘いてみても、そこにあるのは孤独ではないのだろうか。そして、そこには必ず誰かがいる。
野球場でたくさんの人の中で好きなチームの応援をすることも、友達と居酒屋でお酒を呑んで馬
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