そのとき「詩」は私を救わなかった/渦巻二三五
になりたかった。死ぬ意外に楽になれる方法がなかった。
私が「いつどうやって死のうか」と毎日考えていたころ、夫は、「これからどうやって暮らそうか」と思案していた。
「いじめ」を苦にした自殺についての報道が盛んになっていて、「いじめをなくそう」とか、「命の大切さを教えよう」とか言われているけれど、どこかピントがずれているような気がする。
「いじめ」があるのではない。乱暴され脅迫され抑圧されている者と、その加害者がいる、のである。「命の大切さ」なんて抽象的なことを我が身の辛苦の前に置いたところで救われるわけでもない。
彼らは、「死にたい」のではなく、救われたいのだ。
生きてい
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