死体観=廃墟観についての考察/朽木 裕
だ身体は生き返りはしないがこれ以上死にもしない。ある意味で本当に死ぬのは火葬の時だと私は思う。詰まり私にとって死ぬというのは二段階あって一に、命を絶たれる。二に、身体を損なわれる。ここに二つの死が存在する。その間にあるアンバランスさが私にとっての死体観である。
次に廃墟観を述べたい。私にとって廃墟とは特別な意味を持つ場所である。廃墟に関する資料や、廃墟そのものに惹かれるようになったのは、かれこれ6年前のことであるが趣味である写真の単なる被写体として、であった。
その認識が変わったのは試験勉強のため出掛けた県図書館で出会った一冊の写真集からである。
香港にある歴史的建築物、九龍城砦
[次のページ]
戻る 編 削 Point(6)