驟雨或いは詩についての覚書/panda
量の肥大化は小説に於ては自然な現象である)。分節的理解と了解の量が今日文芸に求められているものであれば、小説ほどそれに適しているものはない様に思われる。
短歌と俳句が現在なお存続しているのには、無論様々な理由があるだろうが、それらが簡潔な定型であることはやはり主たる原因であろう。両形式共に、常に現実――内的と外的とその単一と――を短い定型へと再構築するが故に、(しばしば単にイメージと呼ばれるところの)現実の豊潤と言語の鋭利でもって人間の精神となることができるのである。
では詩は?詩が弛緩した定型でも衰弱した散文でもないのであれば。
詩が現に直面している限界――純粋に音楽的でもなければ、
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