忘却についての、ささやかな省察 (1)/竜一郎
れた。「焚書坑儒」とは、それを表す言葉である。時間を経て、儒教は有効でなくなってきた。しかし、焚書は今でもなくなってはいない。それは「焚書」が、人々(群衆)を忘却に導く、手っ取り早い手段であるからだ。
その「焚書」とは少し異なるが、近似する例が著された部分を、『笑いと忘却の書』の第一部「失われた手紙」から引用しよう。ミラン・クンデラの祖国、チェコの話であると思われる。ここには、ある政治の局面が描き出されている。
「一九四八年、共産党指導者クレメント・ゴットワルトは、プラハのバロック様式の宮殿のバルコニーに立ち、旧市街の広場に集まった数十万の市民に向かって演説した。それはボヘミアの歴
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