浸透と破水/キキ氏の作品について/渡邉建志
 
れると非常に困るのだが)

キョーレツなものが大好きなぼくは、キキ氏のこの作品のような静かでささやかな詩にひっかりにくい。だけど、じわじわと浸透してきたことに、一年後に気づいたりする。日曜の午後、サンバを聴きながら、

そしてあの子は気づかないけれど
わたしのスカートはいつの日も水玉じゃないのだ

というくだりをふと思い出す。よくわからないのだけれど―よくわからないというのは、「いつの日も」、というのはよく分からないし、なぜ「水玉」なのか?だし(しかも「じゃない」だし、「じゃない」ものの例として水玉を挙げる必然性が謎だし、いや「あたらしい雨」からきたんだろうか)、それに「じゃな
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