浸透と破水/キキ氏の作品について/渡邉建志
 
うがのちのちじわじわと自分の中心に近づいてきたりするものなのかもしれない。

ぼくはたぶんキョーレツなものが大好きなのだ。大好きだからそこに近づきたい。だけど、キョーレツなものはほとんど先天的なもので、鑑賞者にまわったらたぶん負けなのだ。そしてぼくは鑑賞者なのでキョーレツな創造者ではないのだ。だけど、それでも何かを伝えたいと言う気持ちになったときには、たぶん、キョーレツさや世界の中心を意図するのではなく、自分の末梢神経まで、自分自身の場所と感覚に耳を澄ますことが重要なのだろう(こうかくとまるでレント氏がそうしていないように思われるかもしれなくて、それを意図しているのではないのでそうつっこまれる
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