表現の動機について/由比良 倖
多に起こらないのは、僕自身、深い孤独を率直に感じられる時間が少なく、どうしても作品の表面的な意味を、浅く解釈してしまうからです。あるいは音楽を単に気分的に高揚させるものとして、BGMのように聴いてしまうからです。表現するとは、生命を産み出すようなものだ、ということを私は書きましたが、生命はやはり、解釈された瞬間に死んでしまいますし、誠実な眼差しを向けなければ、そこに生命は映らないものです。
突飛な想像ですが、表現の享受は、一方的な受け身ではなく、対話に似ていると思います。例えば、百年前の作品を読むのは、百光年離れた場所からのメッセージを受けとることに似ています。百光年向こうから電波で送られ
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