全てのひとは倖せになるべきだ/百(ももと読みます)
 




 ぼくはまだ未熟なので、かれらの意図するお金の執着心への理解が不十分だ。ただし、生きていることに関するとお金は切符としての役割を担うほどの原動力となるのだから、結果的に友人の発言より学びを得たのだった。



 精神性の悪意を逆撫ですることもお金にはできる。また、安易で効率的なやりかたを会得するための度重なる努力についての未知数がぼくのなかには存在している。



 友人からぼくへの死を連想させる発言の影響をすでにぼくは乗り越えていて、聖書において、言葉は神であるのだから、友人のこころとしての「信仰」について、そうっと祈ることが大切なのだ。



 
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