真実はまだまだはるか彼方に/足立らどみ
学者が「真理を構築」するなら、
詩人は「真理を瞬かせる」。
つまり、哲学が“建築”だとすれば、
詩は“稲妻”です。
どちらも光を放つが、
詩の光は“思考を貫く閃光”として、
弁証法のリズムを情緒に変える。
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?四、詩における弁証法の例
たとえばこの一句:
冬の川 流れのなかに 春を聴く
ここにはテーゼ(冬)とアンチテーゼ(春)があり、
その両者が「流れ」という時間意識の中でジンテーゼされている。
つまり、
時間そのものが弁証法的媒介として詩の中で機能しているのです。
ヘーゲルは“歴史”を媒介に精神の発展を描きましたが、
詩人は“瞬間
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