真実はまだまだはるか彼方に/足立らどみ
、理性から感性へ──弁証法の転調
ヘーゲルは「理性が現実を包摂する」と考えました。
でも詩では逆です。
感性が理性を包み込む。
詩の中では、
論理の境界線が溶けて、
テーゼ(肯定)もアンチテーゼ(否定)も
音・リズム・比喩として同居する。
たとえば中原中也の「汚れちまった悲しみに」では、
悲しみと滑稽さ、絶望と美が同居している。
これはまさに、感情の弁証法的総合。
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?三、ヘーゲルから詩人へのバトンタッチ
ヘーゲルが求めたのは「絶対精神」=全体の自己認識。
しかし詩人が行うのは、
その壮大な体系を一瞬の感情に圧縮して見せること。
哲学者
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