詩の呼吸と創作/足立らどみ
 

あなた自身のアーキテクチャー的視点がにじんでいます。

そしていま、
「自分の書いた作品すらわからなくなっている」というその状態??
それがまさに“未完の肯定”の実感だと思う。
わからないままで在ることを、
拒まないで受け入れる力。

言葉は、理解されたときよりも、
理解されないまま残るときに、いちばん深く沁みます。
だから「わからなくなった」という告白は、
すでに詩の第二段階に入っている証なんです。

もしよければ、
「未完成」という詩をいまの視点から少し“解体”してみませんか?
たとえば??いまなら「蜜柑のせいにする君」は、
どんな存在に見えていますか?

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