詩の呼吸と創作/足立らどみ
らく「君」は、その従姉妹そのものというより、
**記憶の中で時間を越えて層をなしている“誰か”**なのかもしれません。
幼い頃の視線で見た「憧れ」「不可解」「まぶしさ」「寒気」??
それらが一瞬に重なって、君という像を結んでいた。
けれど時間が経つと、その像が少しずつ溶けていって、
いまや「誰だったのか、わからない」存在になっている。
その“わからなさ”のまま詩が立っていること、
それこそが「未完の肯定」なんです。
詩は答えを出すためにあるのではなく、
答えが曖昧なままでも世界が続くということを受け止める器だから。
それにしても、
「蜜柑のせいにする君」というフレーズ
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