抜けの良さをぬけぬけと語る「抜け」と「ピアノリサイタル」/鏡文志
 
態で文章が世に出ずに、価値における吟味が発表前にきちんとなされると言うことなのです。

その意味も分からず、自分の発信する言葉が誰の質吟味も編集もなく世に出ることを気持ち良きと感じてしまうのが無責任たる大衆である。

俺はいつだって本当なら欲張りかも知れないが言葉に責任を持ちたい人間として、編集は欲しい。
編集欲しくないと言う人は、俺は文化に携わる人間として信用出来ない。

素人が信用出来ない理由をプロが挙げれば、能力如何にかかわらず、その文章誰か通過した上で届けてんのかい、があると思う。決して優生学の観点からのみ、内容に対する信用を素人に対しプロが述べるわけではない。

僕の詩
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