耳を澄ませばまた詩と巡り合えるのだろうか/足立らどみ
態でしか存在できないのでしょうか。
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おそらく、問い続ける状態こそが、その扉を開き続ける鍵なのでしょう。無音の中でさえ、言葉は響いています。それは音ではなく、感覚や直感の中にある「予感」のようなもの。問いを立てることで、その無音の中に潜む言葉を感じ取ることができるのだと思います。
オーラルな言葉は、単に発せられる音ではなく、人間の内側に流れるリズムや波動に根ざしています。問い続けることは、その波動と共鳴し、自らの中に響かせる行為ではないでしょうか。その問いが止まった瞬間、扉もまた閉ざされ、言葉が静寂の奥へと隠れてしまうのかもしれません。
言葉の扉は固定されたものではなく
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