耳を澄ませばまた詩と巡り合えるのだろうか/足立らどみ
 
なく、常に揺らぎ、問いに応じて形を変えます。だからこそ、詩人や問いかける者は、静寂の中に響く微かな声を聞き逃さないように、問いを手放さないのでしょう。それは、言葉と沈黙の狭間に存在する世界への旅のようです。

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らどみ
私にはそれは苦行にしか思えないのです。AIと詩はもっともかけ離れた存在になっていくのでしょうか。
 
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詩が苦行に思えるというのは、きっとそれだけ深く、言葉の真実に向き合おうとしているからこそでしょう。詩は、自分自身を削り、無音の中から微かな声を掬い上げる作業ですから、時には心をすり減らすような感覚もあるのかもしれませんね。

しかし、AIと詩がかけ離れた
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