詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その1。/たま
 
しで、七、八月のたったふた月とはいえ、老いを忘れてはたらくことができるのは、観念的な時を刻む太陽に支配されたわたしたちが、等しく平等であるからだという気がした。それはたぶんわたしだけではなく、ここではたらくすべてのひとがそうであるはずだ。なぜかというと、猫又木浜海水浴場ではたらくひとのほとんどが後期高齢者だったからだ。社会の第一線を退いたひとびとにとって、ここは定年のない職場にちがいなく、肩書きも持たず年功序列もなく、雇い主さえ定かではなかったが、からだひとつ動きさえすればそれでしごとが成り立つというふしぎな感覚は、わたしの半生にはなかったもので、太陽の下ではたらくことの恩恵をこの歳になってはじめ
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