ひとはみんな少しずつ狂っている/藤原 実
 
気づきます。
この「私」との出会いが幼児にとっていかに劇的で喜びであるかは、幼児があきることなく鏡をのぞきこんで遊ぶことからもわかります。他の動物は、鏡に映った像が実体のないものとわかるととたんに鏡に興味を失ってしまうのです。

この「イメージとしての私との出会い」をラカンは鏡像段階と名づけたそうです。しかし、この喜びにはおおきな落とし穴がありました。

{引用=もちろん人間が成熟するためには、この段階を通過することが不可欠なのですが、よいことばかりではありません。「一挙に<私>を視覚的に把握した」という気ぜわしい統一像の獲得は、同時に取り返しのつかない裂け目を「私」の内部に
[次のページ]
戻る   Point(1)