詩の日めくり 二〇一五年十二月一日─三十一日/田中宏輔
は映像の再構成なのだ。
つまずくたびに賢くなるわけではない。愚かなときにだけつまずくものではないからだ。
私小説批判をけさ読んだが、なにを言ってるのかわからない。私という場所のほかに、どこに文学があるというのだろうか。
二十歳のとき、高知の叔父の養子にならないかという話があった。もしもなっていたら、平日は公務員で、土日は田畑を耕していただろう。詩を書くなどということは思いもしなかったろう。詩は暇があるから書けるのである。暇がなければ書けないものでもないが、ぼくの詩は、確実に暇が書いたものなのだ。
以前に詩に書いたことなのだが、つねに自分の鼻の頭が視界に入っているのに
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