隘路(普遍的な絵の中で)/アラガイs
た気づかいなのだ。
しかしね、こうも毎回同じ曲を流しては車を奔らせているという行為にも進歩は感じないね。とはいえ、聴きたいような曲はあっても手元に置いておくスペースには限りがある。車内という空間の狭さにはどうしても不便さはつきもので、だからこそ張り付いた絵のように頭の中では外部の景色と一体に成れるのだろう。
そう、わざわざ移動するのは愛でるためだけじゃない。見慣れた景色の中に溶け込むということなのだ。
「ほら、海が広がって見えてきたよ。水平線に沿って窓の端と端から手足が延びていくだろう?晴れ渡る空の向こうというよりも線は平行線に延びているだけだ。何かを見ているようで実は何も見えてはいない
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