晦い花園/la_feminite_nue(死に巫女)
 
ません。だとしたら、私は──いいえ、その人は、死の中に住んでいるのでしょうか。それとも、生き疲れて死の世界へとさまよいこんでしまったのでしょうか。苦しむことができなくなった時に、人は生きるのを止めるのだとも言われています。だとしたら、その人は死の淵にある人なのでしょう。生と死も、そこでは重なり合っているのでしょう。コスモスは秋に咲く花です。グラジオラスやヒヤシンスは、春や初夏に咲く花たちです。時間のない世界があるとしたら、そこでは、生きていることと生きていないこととは等しいでしょう。その人は、私でもあり、私でもないのかもしれません。「ようやくここに来たね」という言葉が聴こえてきたとしても、私は振り
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