書く動力 3/Dr.Jaco
 
できたためしが無く、成功については別の方に語っていただきたい。
自分が5才位の頃、寝床のシーツに寄った皺を見て得た不思議な感触を未だに忘れ
ていない。四半世紀経って、私が書きたいのはこんなことである。それは怨念以外
のものではない。“ポエム”が感傷の捌け口だと言っても、自分の怨念の捌け口を
見つけられないのは情けない。
私は北園の詩によって私の怨念に一致するヴィジョンを一方的に受け取ってしまっ
たのだった。シーツの皺は、サバティーニのテニスする姿だったり、平成元年式の
日産ブルーバードを横から見た時の曲線だったり、真行寺君枝の顔だったり、その
他いろいろだったりするが、それら全てを
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