信仰と文学に関するメモ 2/るか
能であることを受け入れるとき、そのように造られて在ることを事実として認めるとき、どんな瑣末卑小な行為の一つもまた、人間の自力、己を恃む心によっては不可能であることを認めざるをえないのである。であるから当然、信仰することもまた、それが私という限界内にある限りにおいて、けして完全であることはできない。それはいつも誘惑にさらされ、葦のように弱く、自力では、本質的な意味でそれを深めること、強めることはできない。精々、居ずまいを正す努力によって、わが信仰をつよめて下さいと、願い求めることが許されるばかりだ。この弱い姿において、わが数多の、そして主との関係における根源的な罪の赦しの受け入れによって、神の前にあ
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)