信仰と文学に関するメモ 2/るか
 
にある私を、愛されてある神が在ることを信じること。最も大いなるものを愛として、常に既に満ち溢れているその愛を受け入れること。教えによれば、それが信仰であるものと私は受けとめている。しかし、信仰が、一般的には、洗礼を契機とした、聖霊(pneuma)そのものであり御霊によるものである次元においては、それは永遠普遍なる完全性としての愛である。このように私は、主の名にあって、告白申し上げたいと思う。
むしろ、あらゆるものを飲み込む、無底の深淵(カオス)、無根拠という人間の真実が、どうして、対立すべき外部を持ち得るだろうか。闇とはいまここであり、宇宙そのものが地獄に象徴されている。
言葉も声も、世にあって伝えるべき唯一のメッセージの展開、変奏であればよい。そう願っている。やがてくる新天新地における、永遠の愛が、静謐のうちに、すべての意味を明らかにして下さるものと、根底から呪われたもののように、私は信じている。


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