いきる(脳力)/梅昆布茶
 
はいもがらのようにひなたに置き去りにされてゆく郷愁が哀しげに佇んでいるだけ

西鶴は日本永代蔵等の町人物のなかで俳人らしい洒脱さをもって貨幣経済の浸透が江戸期の庶民にもたらした悲喜こもごもを描写して
それはまるでいまの世の影絵のようにはかない人間の童話にもおもえる

描くところの恋愛模様も寛永〜元禄年間の上方庶民文化爛熟期でありバブルのあだ花としてのきらびやかであやしいうつくしさをもって
当時の遊郭と遊女や歌舞伎若衆らが太鼓持ち的なかれの眼を通じてちょうどいまの韓流っぽい色合いで時代から浮かび上がってくる

いずれにしても断舎離まではいかないにせよ無用でなおかつこころひかれる幻影に
[次のページ]
戻る   Point(14)