新しいは、神々しいは、まやかし/komasen333
金石的投企が
価値を有してくるのだと
のうのうと述べている時点で
既視感満点なのであります
それすらも
価値観の醸成に用いる手段に過ぎないと
割りきれているのならば
まだ救いようがあるが
それすらも気づかずに心の底から
手段としての体裁にばかり
重心をかけていることを
スルーしっぱなしというのは
失望どころじゃないっすね
時代的には最悪認定もありな様相です
本質が求められていると
分野を問わずいわれますが
そこで肝心なのは
本質以前にそうした文脈で用いられている
「本質」という概念に対する認識の差異が
この上なく多様性にまみれて
「本質」という一つ
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)