(追悼文)石原大介さん?『だんすがすんだ』を傍らにして/バンブーブンバ
は、こうした対極性によって生まれる磁力を、失速させるどころか、回文によってドライブさせられて、「だんす」は紛れもなく、「生」に置き換えられてしまいます。「すんだ」は逆説的な反響となって、霞に消えてゆきます(特に、石原大介さんが他界された今となっては尚のことです)。
その後のプロットですが、彼と私のそれぞれのポイントを合計しても5ポイント(彼が2ポイント私が3ポイント)といった脆弱なものでありましたから、私と彼の距離感におかれても尚のこと紡いでしまったそれらの詩は、少ない架け橋の両端で相対して、「やぁ、久しぶり」と声掛け合った同窓生の懐かしい挨拶と似てなくもありません。
こうした実在しているはず
[次のページ]
戻る 編 削 Point(9)