(追悼文)石原大介さん?『だんすがすんだ』を傍らにして/バンブーブンバ
はずの彼を、実在として実感したこともないのに、「死」を実感させてしまうものに、私は輪郭を与える言葉を未だ持ちえていないのですが、ただ、抗いながらもひとつおぼろな霞みに映る光というのは、「紡いだ言葉を私が読み、私が紡いだ言葉を彼が読んだ」、その事実が、たとえ空想であるかもしれないにしても、私には、それらが生と死を感じさせるに十分な、何かであった、そう考え始めているのです。
読まれることで初めて詩になる
ならば、
初めて詩になることで読まれる
ものに、
出会えることで、
私は、これからも「だんすがすんだ」思いに、触れられるような気持ちになったのです。
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