永遠に帰するポエジー 〜蛾兆ボルカ「はちみつぶた」について〜/白井明大
一つには、「カタコト語」→「大人語」翻訳の効果としてだが、それは父=話者のまなざしによるものではない。あくまで詩法としての効果にとどまる。どんなまなざしかに関係なく、子どものカタコト語を大人語に置き換えることで、子どもが身を置く時間の流れ(=カタコト語的世界)から子どもを離す効果は生まれる。たとえば、《まんま》というカタコト語を、《ごはんがたべたいです》という大人語に置き換えるなど典型だろう。
この詩では、それだけではないと思える。二つ目として、詩が一貫して父=話者の視線により語られること、それが上記のような、子どもの心性の質的差異に敏感に反応するものであることから、つまり語りの精緻さから、イ
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