永遠に帰するポエジー 〜蛾兆ボルカ「はちみつぶた」について〜/白井明大
 
、イメージを高らかに飛躍させ、なだらかに着地させる実直かつ着実な効果を生んでいる点をふまえたい。第二連から第六連までの、まなざしの丁寧さ、精緻さ、敏感さゆえに、息子はカタコト語的世界から、父は常識的世界から、それぞれ離脱したときに、その離脱が高みへの移行を可能にするのである。
息子固有のパーソナリティの、ある地点への到達を見つめ得た父=話者のまなざしがあるがゆえに、その話者の視線のなかで、時間の流れからの離脱は、「はちみつぶた」現出という高みへの移行を可能にしているのである。

この第二連から第六連までの詩行の確かさが、最終連の美しさを支えているのだと考える。

単に最終連のイメージが、永遠に帰する幻想的イメージとして美しいのではなく、人のまなざしによって永遠への通路が開かれ、「はちみつぶた」の現出という像を結ぶことが美しいのではないか。

この詩におけるたかまりの頂点は、最終連にある以上に、第五連にあるのかもしれない。
戻る   Point(4)