「忘れられる」ものとしての「信頼」−「存在の彼方へ」を読んでみる15(2)/もぐもぐ
への危険に晒されながら、その時間は私たちの意識に上らない。警戒を緩めている時間、その時間は、まさに意思そのものが弛緩しているために、意識されない。それゆえに、私たちは、膨大な「信頼」の上に生きていながら、その事実を絶えず「忘れて」しまう。
忘れている事実を思い出すというのは、とてつもなく難しいことである。それはホッブズ的な「自己」を不安に陥れる。自分の記憶にないものを、自分がしたこととして指摘される時ほど、自分の存在というものに不安を覚え、自分自身が頼りないものに感じられてしまう時はない。私は常にその不安を「忘れ」ようとする。「忘れる」こと、それによって、初めて自分自身の確固さは維持され
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