「忘れられる」ものとしての「信頼」−「存在の彼方へ」を読んでみる15(2)/もぐもぐ
され、私は「安心」することができる。私は「不安」に晒されたくない。私は自分が忘れている「記憶」を突きつけられることに抵抗する。レヴィナス的な、或いは宗教的な、他者への無条件の信頼を称揚する議論が私を不安に陥れ、また受け入れ難く感じられるのは、このためである。それは、忘れられている「記憶」を目の前に、直接的に突きつけて見せるのである。
レヴィナスは、原理上記憶されることのない、人間の他者への無条件的な「信頼」を、その人間の自然的なあり方として、正面から突きつけようとする。それは私を限りなく不安に陥れると同時に、そのような無起源的なものの回復を通して、人間の自然的なあり方を取り戻そうとする議論なのである。
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