あをの過程さんの時間論−「存在の彼方へ」を読んでみる12/もぐもぐ
 
問題である。もし時系列順に生きているだけならば、私たちは目的(end)を持っていることはありえないのではないだろうか。最初から目的(end、死)を有しているからこそ、私たちの「生」があるのではないか。
哲学のフレームでは丁度、ハイデガーが立てたような問いである。これまでにも数度触れてきたが、ハイデガーは、「死への先駆的覚悟」によって、「存在の意味」(生の目的)が明らかになる、という形で、人間のあり方を特徴付けたのだった。私たちは終末、死(end)を知ることにより、初めて、目的(end)をもった生を生きることができるようになるのではないだろうか。

あをの過程さんは、これについて3種類の解釈を
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