「大胆」な「懐疑論」と異なった「リアリティー(現実)」−「存在の彼方へ」を読んでみる8/もぐもぐ
あなたは、「懐疑論」を主張することが出来るだろうか。
「生」とは「自己への配慮」(ハイデガー)であり、終局的には自己の生存という「利害」であるならば、「万人による万人に対する闘争」「人は他人に対して狼である」(「弱肉強食」)という「真理」は「現実」なのである。私たちはこの「現実」を否定することが出来るのだろうか。
「『弱肉強食』という『現実』なんてない」懐疑論は、それを主張する勇気を持っているのだろうか。それは余りにも、「大胆」に過ぎる主張ではないだろうか。
「懐疑論」を主張するあなたは、「現実」を否定することになるが、そういうつもりなのか。それはあまりに「大胆」なことではないか。
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