「大胆」な「懐疑論」と異なった「リアリティー(現実)」−「存在の彼方へ」を読んでみる8/もぐもぐ
 
、勿論冗談だけど)」かの、いずれか片方の時間しか認めない。従って、「共時性」の観点からは懐疑論的な言説は常に無意味に近い言説に映る。

レヴィナスは「懐疑論」を「通時性(隔時性)」を伴った言説と見る。
しかも、単なる「通時性(隔時性)」ではない。レヴィナスが想定するような「大胆な」「懐疑論」によって伴われているのは、「極限的な」隔時性である。それは「超越的隔時性」とも言われている。
(「時間の時間化においては、全てが実体として結晶し硬化する・・・しかるに、このような時間化のうちで、回帰することなき時間という経過が、どんな共時化にも逆らう隔時性が、『超越的隔時性』が告知されなければならない」
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