空の時間、断筆まがいと全容/れつら
。そこに身を落とすことが、まずは僕にとっては書くということの最初の段階だ。僕は詩を書く、ということを意識しはじめてから、つまり、自分の書いたものを作品として取り扱いはじめてからずっとそのようにしてきた。
転機はいつだったろうか。とかく他愛もないことで、僕は時間をもてあましていた。いや、もてあましてなどいなかった。どちらも正解だ。より正確に言うならば、「もてあましたい時間」があったのだ。高校3年の時だったろうか。何もできない、いや、したくない自分を正当化する手段として、僕は書きはじめた。今ならそう言うことができる。以来現在まで、ずっとそのようにして書いてきたのだ。受験を控えたこの時期に何たる事か
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