自由意志と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる7/もぐもぐ
 
」なのだった(「時間は存在することであり、存在することという顕出である」(p36))。自己認識が「時間」であるのなら、なぜ「時間」は流れるのか。なぜ「自己認識」は自ら動くことができるのか。

レヴィナスはこの点に着目する。「自己認識」の「自己認識」という形で純化された「自己認識」は、自ら動くことができない筈である。それにもかかわらず、実際に時間は流れ、自己認識は何ものかを認識する。
「自己認識」が自ら動くことが出来ないのであれば、その「動き」や「時間」は、「他者」から来るしかない。
しかし、「自己認識」は「自己認識」である限りで、「他者」の認識を欠いている。つまり、「自己認識」は、他者に由
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