自由意志と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる7/もぐもぐ
照。「時間は存在することであり、存在するという顕出である。時間の時間化(は)・・・時間の流れ、すなわち自己同一的なものにおける差異に他ならない。・・・けれども、時間はまたあらゆる偏差を回収するものでもある。・・・そこでは、全てが現前し再現前する。時間の時間化においては、全てが書き留められ、エクリチュールに委ねられる。ハイデガーならこういうであろうが、全てが総合され集約されるのだ」(p37))
さて、このように、ハイデガーやレヴィナスの立場は、第一原因としての自由意志を認めない(というより、「関心」とか「責任」とか、それと別の表現をする)。ではこれで問題は全て解決したのだろうか。そうではない。
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