自由意志と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる7/もぐもぐ
ーの言う「関心」は最初から「生への配慮」であり、恐らくは「存在の意味」(生の意味)の認識こそが、この「関心」の具体的なあり方を規定している。「存在の意味」(生の意味)の認識に伴って「関心」の個別のあり方は変わってくるかも知れないが、あくまでそれは意思決定ではなく、「認識」の結果なのである。
(勿論、これを「意思」でなく「認識」とするハイデガーの描写が妥当であるかは、究極的にはこれをを受け取る個々人の現実感覚にかかっている。)
レヴィナスも出発点としてはほぼこれと同じような立場を取る。というより、「存在」(生)のあり方の描写として、基本的にハイデガーを前提とする。(例えば、以下の叙述を参照。
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