純粋正義への架橋19/チャオ
 
えば、オリンピック選手を目指すとか、そういったものだ。その目標が定まったとき、人は、自分に宿命付けられた自分自身を超えようとする。

ひとつの存在を救う。その行為は、ひとつの可能性を救い出すことになる。その可能性とは、ニーチェの言う「超人」への可能性なのだ。僕らは僕らを常に超えようとしているのだ。誰かを救うという行為によって、この世界に存在たらしめんと。

なんと無味乾燥な論法なのだろうか。
ただ、僕は、エミリディキンスンのその崇高な魂をあがめられさえすればいいのだ。人の上に人は立ち続けなければいけない。だが、その頂上を高く、高く、天へとより近く伸ばすほかないのだ。だが、悲痛なことに、誰
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