言葉と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる4/もぐもぐ
 
な議論だが、レヴィナスは、こうした日常的な実感の中から、哲学的にも一定の意味を持った主張を引き出してくる。(レヴィナス自身も言っている。「恐らく、本書の道程は哲学以前の経験から完全には分離していない」(p61))

レヴィナスは、<語られたこと>、言語を用いた文章や口頭の表現の中で、単なる事実や概念や意味の伝達に還元しきれないある種の「剰余」が見え隠れしていることを鋭く抉り出す。言葉は、単なる真理発見や、コミュニケーションのための「ツール」ではない。表面に顕わに立ち現れてくることこそ少ないが、そこには常に、何らかの謎めいた「責任」という剰余が、絶えず見え隠れするのである。


言語の「謎
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